主語と述語、主辞 "subject" 、賓辞 "predicate" 、繋辞 "copula" 、S-P
野矢茂樹『言語哲学がはじまる』第2章「文の意味の優位性」で、"述語を関数として捉える"といってフレーゲの「関数」(ここではラッセルとの関係で「命題関数」と呼んでいる)が導入されるんだけど、そもそも「述語」とはなんなのか。 新明解国語辞典によると
じゅつご【述語】
(1) 「何はどうである」の「どう◁する(なる)」「どうである」に当たる語で、表現主体が取り上げた事柄に関して、その動作・作用や性質・状態などについて何らかの判断を表すもの
⇒主語・客語
ここからのリンクを追うと(新明解国語辞典による)、
ひんじ【賓辞】
(1) 〔論理学で〕ある命題において、主辞について述べられる概念。例、「犬は動物だ」の「動物」の類。
⇒主辞・繋辞
(2) 〔文法で〕客語の称
けいじ【繋辞】
〔説明の言葉の意〕命題の主辞と賓辞とを連結する言葉。例、「時は金なり」 "Time is money" の太字の部分がそれ。
つまり、「犬は動物だ」の「犬は動物だ」の太字の部分。
しゅじ【主辞】
〔論理学で〕ある命題において、賓辞によって述べられる判断の対象。「犬は動物だ」の「犬」の類。
⇒繋辞・繋辞
賓辞の「賓」は、旺文社漢和辞典によると
賓
(1) まろうど。客人。
(2) 客としてもてなす。
(3) 導く
(4) つらねる(列)。つらなる。
(5) したがう。したがえる。
論理学だとそれぞれ、
主辞
subject
サブジェクト
賓辞
predicate
繋辞
copula
コピュラ
論理学でいうと、
S-P
subject - predicate
これは命題論理の基本的な形式を指す
平凡社「世界大百科事典(旧版)」では、
[形式論理学と文法]
そもそも主語・述語とは,形式論理学における命題〈AはBである〉のA(それについて語るところのもの)およびB(Aについて語る事がら)に当たるものを,アリストテレスがそれぞれギリシア語で hypokeimenon, katēgoroumenon と表現したことにさかのぼるという。これが,その後ラテン語でそれぞれ subjectum, praedictum と表現され,論理学および文法の用語としてしだいに定着,今日のヨーロッパ諸言語でも継承され(たとえば英語 subject, predicate ),また他の言語でも用いられるようになり,日本でも主語・述語と訳してきたものである(形式論理学では主辞・賓辞とも,文法では主部・述部とも訳す)。当初のヨーロッパでは論理学と文法は密接な(元来は未分化ともいえる)関係にあり,共通の用語となったのだが,しかし,両者は目標も対象も異なる学問である(文法は今日では言語学の一部として位置づけられている)。
渡辺実『日本語史要説』
「もの」を言語化したのがいわゆる主語であり、「こと」を言語化したのがいわゆる述語である。文は主語と述語との結合によって成る、 と言われて来た所以である。文は本当は、こうして描写(これを叙述と呼ぶ) された事態(これを叙述内容と呼ぶ)に対して、話者が自分との関係を決定的に表明すること(これを陳述と呼ぶ)によって成立する。
主述両項を結合統一する統合点とでも言うべきものは、「もの」と「こと」との間にある理屈であり、論理学はそれを繋辞と呼び、主語の表わす概念を主辞、述語の表わす概念を賓辞と呼び、主辞と賓辞とが繋辞(コピュラ)によって結合統一されることで表わされる内容を判断、それを言語的に表わしたものを命題と呼ぶのだが、主・賓・繫の三辞がきれいに姿を現わすのは、英語で言えば "A is B." ( I am a student. )